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リハビリと生きる喜び 2003-2-2 今はリハビリ中で、無理しない生活を心がけている。退院して完全に元に戻るまで、赤ちゃんがハイハイし、ヨチヨチ歩きし、完全に大人になるように、普通の生活に徐々に慣らしていく。入院中は制限がある。今は外を歩け、買い物でき、好きな物が食べれ、風呂に入れ、仕事に行け、家事ができる。日常生活一つ一つが今できるということに喜びを感じれる時なのだ。それが当たり前になると、この喜びを忘れがちだ。時々、人間は時にはゼロにリセットする必要がある。 この時期は、外は寒いし風邪も流行っているので、外を歩く時はマスクし、人ゴミの中をできるだけ避ける。日頃あまり家にいないので、今こそ家事をしたり、片付けものをしよう。食生活を見直して玄米中心の食事に変えたり、ヨガや気功で筋肉をバランス良くつけよう。以前リハビリ中に習得したことを再び必死にやろうとする。体調が良くなると行わないから、悪くなるのだろう。頭でわかっても行わなければ意味がないということだ。 散らかし放題になった部屋を1つ1つ片付ける。書類、郵便物、洋服や身の回り品、写真、本、ソフト類、物が溢れてしまう。情報も氾濫し、その中からどう重要なものを見つけだすのか。探し物をすると時間の効率が悪くなる。古くなった物、要らない物をこの際おもいきって捨ててしまおう。埋もれていた物の中から重要な物も発見する。大切な物とガラクタと区別しないから使えないで死んでいく。コンピュータのフォルダのような箱がたくさん必要になる。現物は場所をとる。1つ1つ物に息を吹きかけていく。狭い家といえども埃は拭いてもすぐ積もっていく。管理できないほど、人は欲張ってたくさん所有しない方がいいかもしれない。シンプルライフにしよう。 薬の副作用は使用してから後追いで始まり、副作用がそろそろ辛い時期であるが、何故か今の私は幸せ!今回は私の命だけでなく、そして両親が何より元気になったことで、ほっとした。普通に生活でき、家族が元気であること、ちょっと前は当たり前のことが今とても嬉しく感じる。昨年の半年間では私の命以外に、母や父の命の危機も案じたので、3倍に喜びが増幅した。新たに家族と過ごせる喜びを大きくかみ締める。 同じように環境や条件にいても、各々の人生の体験ということで意識が変わり幸福感が生まれるのだろう。必ずしも恵まれ何不足の無いことで育つことが幸せであるとも限らない。理想の基準が高すぎると幸せな筈の現実でも不幸に感じる。限られた周りの人と比較すれば、自分は不幸だと思う。ないものより今あるものに感謝し受け容れた方がずっと賢明だ。生きるか死ぬかの原点に戻れば生きているだけで幸せに感じられるとしみじみ思う。 ブラジルを旅行した時、貧しいのに陽気で明るく楽しく暮らしているのだろうと不思議に思った。明日のことは心配しない、その日その日をせいいっぱい踊り明かす。先進国はより利益を追求しよう成長しよう、足ることを知らず、欲望を持つから地球規模で見ると無理が生ずる。戦争でも起こそう、利権を考え戦争に協賛しようと思うのは、恵まれ過ぎた狂っているエリートの考えとしか思えない。 日本は物があふれ、治安も良く、平和なのに、何故皆疲れて、楽しそうでないのだろう?狭い所に物が溢れすぎて整理する時間もなくより忙しく感じて苦痛なのかも。たまに自分をリセットしてみるのもいい。 |