ウフェラ先生とはコンゴから来られた客員教授である。2001年の9月から私はたまたまウフェラ先生の仕事を手伝うことになった。 最初、コンゴの教授が来られるから、コンピュータ操作を教えてくださいと頼まれた。10年前に日本に1年間初来日した時、帰りに買ったコンピュータを暴動で略奪され使えなかったので、コンピュータは不得手らしい。ウフェラ先生は来日してすぐに、マラリアにかかって休んでいることがわかった。マラリアなら、しばらくは仕事に来られないだろうとのんびり構えていたらすぐに回復したので驚いた。マラリアというのは日本人が考えているほど重症ではなく風邪のような軽い感じで、薬さえ飲めば簡単に回復するそうだ。特に日本人の教授が持っていた薬は高価なもので効き目抜群ですぐに回復した。アフリカというと先入観なのか野性的なイメージを想像しがちなのだが、フォーマルな服装で礼儀正しく小柄で誠実そうな方だったので安心した。専門はアフリカ文学の比較研究である。 ウフェラ先生は敬虔なクリスチャンである。コンゴのプロテスタント大学でも講義していたそうだ。学生は数千人も1クラスに参加するので席を取るにも早くから待つそうだ。貧しい生徒が多く、本を買うのも困難なので、先生は本を収集し貸し出し等もしているそうだ。恵まれ過ぎて授業をサボりがちな日本人学生とは異なる。博愛の精神から、コンゴではストリートチルドレンなどの教育支援や困窮者の生活支援の活動をしていることもわかった。恵まれている人が困っている人を助けるのは当然だと思っている。コンゴでは常に、助け合い、奉仕していたようだ。1994年にFOCICO(5大陸の社会事業)を設立して、たまたまワールドワイドファミリーと同じような意味を持つ。計画的に国際交流のための国際ゲストハウスも作っているそうだ。 ミーナさんにしろ、ウフェラ先生にしろ、偶然の出会いである。アジア、アフリカでは身近にストリートチルドレンやホームレスなどを目にする。ちゃんと生活できる人が、困っている人々を奉仕するのは自然だと思うのだ。私も旅が好きでたくさんの貧困を見ているので共感を覚える。ネパールやコンゴと比較し、日本は物があふれ豊か過ぎているのだが、不況と将来不安で苦しむ。物のないコンゴの方が、楽しく陽気に暮らしているそうだ。コンゴを知り与えることで、豊かさを初めて意識できるのではないか。僅かな円でも後進国では効果的に増幅して活きる。 ウフェラ先生が来日中、パワフルなミーナさんが2回のべ6か月近く来日した。その間、ウフェラ先生は親切に協力してくれた。ミーナさんは外交的で行動的なシスター、ウフェラ先生は穏やかで堅実なビッグブラザー、肌の色は違ってもそれぞれ個性があり、皆で喜びも苦しみも日本での貧しさも分かち合いながら、これこそワールドワイドファミリーなのとしみじみ感じた。外国人の出会いにより国の文化や習慣が見えてくるし、ネパールやコンゴと関わることで、日本の物質的豊かさや形式的で柔軟性のない社会体質が見えてくるのだ。第3世界は戦争や暴動や事件があって当然、水と安全が無料だと思っている日本とは大違いなのだ。 コンゴではリンガラ語を日常話すそうだが、公用語はフランス語だ。アフリカ大陸では仏語が公用語になっている国が多い。私は学生時代第二外国語として、社会人になっても公開講座で仏語をとったりして、仏語は音が好きで憧れるのだが、使う機会は英語以上に全くなかった。機械的処理をするデジタル編集は、仏語の勉強にもなる嬉しい仕事だった。 ウフェラ先生の2年間の滞在中に、様々な事件が起こり、帰国の間際まで仕事でバタバタしていた。初め元気だった私も病を患い、劇的に変化したが帰国前の回復を心から喜んでくれ、温かい人柄に感謝している。8月末突然コンゴに帰国することになった。間際に2冊の本を作成したので大忙しだった。来日中に3冊の本を仕上げた。イベントを開こうと思っていたのだが、準備ができずに一度「コンゴを知る」という講座を開いたきりになったのが残念だ。 コンゴでは国際ゲストハウスを準備しています。ウフェラ先生は給料のかなりの額を建設費に回したようだ。ウフェラ先生は控えめだが、じっくり型で信頼できる方です。最後に連合からの助成金を外国人滞在施設用のエアコン費用などとして寄付しました。日本人が泊まれるようになると思いますので、ぜひ行って、交流してください。海外に活動の拠点を作っていくこと、これが日本を初め先進国の高齢社会の対策にもなっていくのではないかと思うのです。知ることから始まり、NPOのモットーである「出会い、助けい、触れ合い」できると思うのです。物が無いそうです。郵便局で20キロまでの箱なら郵送料9000円ほどでコンゴへ船便で荷物が送れるそうです。どうぞ要らない物何でも送ってくれれば大歓迎と言っています。ご協力よろしくお願い致します。 中塩みあき |