シアトル訪問 ー日米、時代の変化ー
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ダウンタウン |
住宅街 |
アメリカ本土の旅というと、、、昔、ニューヨークを旅した時、すべてが巨大!と驚いた。しかし富の象徴;貿易センタービルはその後、倒壊した。そしてサンフランシスコ、ロスアンゼルス、ラスベガス、サンディエゴ、グランドキャニオンなど西海岸を旅した時は、スピードツアーの典型的日本人観光客であった。サンディエゴは美しい高級住宅街、隣の貧しいメキシコ、ティファナの町とは大きな差、そして超円高バブル後の東京との住宅事情の差を感じた。その後アメリカの住宅価格は高騰しサブプライム問題が起き、あの美しいサンディエゴは燃えた。 10数年ぶりのアメリカ訪問である。この間、9・11事件などがあって、世界のアメリカに対する意識も変わったのではないか。日本では物余りでデフレ、低価格でいい品々が何でも手に入るようになった。自分でも脱サラしあちこち旅したり、NPO活動もしているので、かつての観光客でない。 ノースウエスト航空で行ったが、機械でチェックインし2時間前のチェックインでは既に満席、最後の席しか残っていなかった。スーツケースもチェックのため鍵をかけれないし、アメリカに到着すると厳重に両手人差し指の指紋をとられ、顔写真まで撮られた。 10月上旬、東京はまだ暑く30度近くもあり、半袖の人もいた。シアトルは冷え込み、寒かった。地球温暖化で夏が短く、早くから寒くなってきているそうだ。シアトル空港など、中国語やハングル語の文字が目立ち、日本語は見かけない。 今回は、知人ゆりさんを訪ねるシアトルの旅、シアトル在住が長いゆりさんにすっかりお世話になり感謝感激である。知人を訪ねる旅は深く生活や文化も知ることができて素晴らしい体験である。 メールで気軽にやり取りできる時代となり、旅の前後はとても忙しく、私は出発前徹夜して時差は感じなかった。間際にメールで頼まれた切干大根などの買い物はユミさんがギリギリに用意してくれた。ユミさんは高校時代の友人、同じ電機業界に勤め休日が同じだったので若い時はよく旅に出かけたものであった。二人共会社も辞め、サラリーマンが終身雇用という時代は終わった。 シアトルはネイティブアメリカンが居住していて18世紀終わりに白人が入植し、19世紀に都市の開発、木材の集散地であったがゴールドラッシュで入植者が急増。20世紀初めは第一、二次世界大戦の影響でボーイングなどの軍需産業が発展。マイクロソフト、アマゾン・ドット・コム、スターバックス、コスコ、ノードストロム、などの大企業の発祥地。歴史は浅いが、開拓精神豊かなアメリカを感じた。 世界一豊かな生活レベルを感じ、アメリカ英語は速く英語中心の世界の中ではリーダーシップを取り、有色人種は差別されがちだと聞く。ゆりさんは47年前に一人で留学し40年以上キャリアウーマンとしてアメリカ人の中で逞しく生きている貴重な珍しい人材である。 日本人は以前は経済力や技術力があったから尊重されていた気がするが、経済力が弱くなってくると存在感が無くなりそうだ。但し、宮崎駿などのアニメやゲームがブームであったり、日本食の価値が認められ、イチローなどのスポーツマンが有名であるそうだ。 テレビでTheWarというドキュメンタリーをやっていたけど、戦時中、日系人の財産を取り上げられたり捕虜にされたり虐待された悲惨な事実があったようだ、日本国内では知らされていない。島国日本にいると、平和ボケしてくる。 今回は観光やショッピングよりも、生活体験し、家を訪問したり、ボランティア体験したり、動物園やら水族館巡り自然と触れ合う。美しい町、カナダのビクトリアにもクリッパーという船で行った。海岸沿いなど豪邸が建てられているが、地球環境によって、被害を受けたりしている。アメリカ人がボランティアに関わり、ボランティアをすることで、交流をする。これは日本人にない心の余裕だと感じた。 海外に出ると、経済まっしぐらに進んできた日本は、衣食住が困るほどまでのハングリー精神も無く、物質文化から精神文化への移り変わり時で、今までの膿だしをしているかもしれない。日本の森、温泉、水、空気などの自然や、利便性、食生活、治安の良さ、物価の安さ、勤勉、人間性などもいい面がたくさんある。日本人は、精神面や技術力や環境などで柔軟にもっと力強く発揮してほしいものだ。恵まれたシアトルへ移住した日本人;若きITエンジニアや女性などにも会い、日本がもし魅力がない生かされない社会なら、有能な若い人材も海外脱出して、日本はますます少子高齢社会になってしまうかもと思った。本質を見極め、生きていきたいものだ。 |
