ネパールから帰国して  2004-1-1

昨年12月の4週間はネパールに滞在、途中6日はインドのバナラシを旅した。旅をしていると時間が何倍にも増幅して感じる。

ネパールの旅は、NPOの活動は自分の目で見てからこそ伝えれるという使命を感じ、視察に出かける。たくさんのストリートチルドレン、女性たち、老人や、盲学校の生徒たちに出会い、活動を確信できて嬉しい。ボランティアを通じどんなに祝福され歓迎されどんなにたくさんの愛をもらったことか!物やお金を送るだけでなく、交流することの意義を感じた。ツアーやバッグパッカーの旅とは一味異なる、生活密着型の旅ができた。

誰かと一緒に視察したいと思ったが突然旅が決まったので一人で旅立つ。たまたまカトマンズ空港で出会ったアキさんとバラナシまで同行する。

ネパールの殆どは、1か月前に引越ししたばかりのミーナさんの家に滞在。ミーナさんのお兄さんの家に近いカトマンズの閑静な高級住宅街の3階建ての建物2階3LDKを借りて、1か月の賃貸料は電気代、水道代込みで100ドルだという。ネパールルピー1Rsが1.5円ほどで、タクシーがちょっと乗って、30円、50円。ブラウスをオーダーして60円、物価がとても安いのだ。毎月2万円もあれば十分豊かに生活できるようだ。家族や親戚が助け合って生活する、子供の世話も共同、高齢の叔父さんも世話をする。洗物や掃除などは夫が蒸発し5人の子供を抱えているマヤさんが低賃金で家事の手伝いに通ってくれるので楽。

ネパールやインドでは電気が何回か止まり、断水することもしばしば、ロウソクを用意し常に水を溜めておく必要がある。トイレもトイレットペーパーが置いていない所も多いし、暖房も効いていない。カトマンズでは12月と1月が最も寒いそうだ。ポカラで寝袋を買って寒さを克服した。飲み水も注意する。お風呂もバスタブもないし、お湯は沸かしてバケツに汲み体を洗う。埃っぽいが、寒いし、手間もかかり、汗もかかないのでできるだけ我慢する。

寒さでブルブル震えながら、薄い服に裸足、十分に食べていないのに、子だくさん、雑草のように逞しく生きている人々を見ながら、冬は暖房、夏は冷房と、エアコンディショナーで体を楽しているのに慣れ、免疫力が低下しているのかもしれないと気づく。

4週間の滞在中になんとまあいろいろな家庭に招待をされたのだろう、数えてみるとネパールのカトマンズで、滞在していたミーナさんの家の他に、お兄さん、ヴィーナさん、アヌさん、ジェニーさん、ミンマーさん、ピンクさん、ラニさんは経営しているレストランへ、ポカラではパンジャビ家族、本屋さん、ホームコマリさん、サティさん。インドのバラナシではグッドさん、ピピンさん、ババさん。15家族だ。

招待してくれる人々は皆大きな家に住む。人を招待し、プレゼントを交換する週間。家が大きくて皆暇なのかと思えば、朝4時半に起きて準備をしてくれた副校長のジェニーさん、日本企業で働き妊娠中なのに、1日だけの休日にもてなしてくれたピンクさん、、、忙しくても心の余裕があるのだ。日本人の住居が狭いためか、時間が無いのか、愛の交流が欠けているし、生活費が高いので働かなくてはいけない、お金に執着せざるを得ないのだろう。日本や先進国に出稼ぎに来ている家の家も豪邸。日本では小さなアパートでぎゅうぎゅうに暮らしても、ネパールでは御殿のような家を作れるこの貨幣の差。

おかしな政治、日本からのODAの資金は王の城の頑丈な塀に使用され、その中で国王一族は殺害された。マオイストと政府の戦いが今でも頻発し、マオイストは村で殺害を犯すがカトマンズやポカラの一部の町は安全だ。西部に勤務している警察官がカトマンズのミーナさんの家に来た。母親の体調が悪く、休暇を取った直後に同僚の人々10人ほどがマオイストに殺された。研修に出かけた2時間後、20人の同僚が殺害されたなど、、戦争は日常。

安全と水が無料と思っている日本人は平和ボケしているだ。

規則というものが存在しない。交通も信号もない。インドのバナラシではさらに混み合い、リキシャー、バイク、人々、牛などが混在している。だから公的機関であっても、自由が利くのだ。規則にがんじがらめの日本は、流動性や柔軟性に欠けているのだと気づく。

店を開店するにも100ドルあればできるという。安い労働力はあるし。日本では僅かなお金でも効果的に働く。

ヒマラヤはなかなか見えない。雨上がり、やっとヒマラヤが顔を出した。富士山を見るような感じなのだ。なかなか現れないからこそ価値がある。

2004年の元旦は八ヶ岳で迎える。平和で綺麗な水と空気、たっぷりの温泉、森、山。暖房や温水。海外に出てからこそ知る日本の幸せ。でも生活費が高いし、自由度が無く窮屈な暮らしであるとしみじみ、、、

今年も平和で良い年でありますように。