本当のボランティア : ミーナさんとの出会い 2000-11-27

 
Miaki.、Meenaさんの姪、Meenaさん、前島さん

 ネパールのカトマンズの空港からヒマラヤ登山の出入り口ポカラ行きの飛行機に乗ろうとする時、霧のため2時間飛行機が遅れた。うんざりしながら待つ間、気品のいいサリーを着たレディと目が合ってにっこりし互いに気になった。彼女は私たちの隣に腰掛け、会話が始まった。

 最初サリーの着方を教えてくれ、私たちの泊まるポカラのホテルが彼女の家に近いことがわかり、サりーを着に彼女の家に来て写真撮影しないかと誘われた。ホテルでも経営しているのか、日本人相手の客引きだったらどうしようとも最初は警戒した。

 話しているうちに彼女は女性のためのプログラムを行っているりっぱな方であることがわかる。名前を書いてもらったら名前の前にDr.をつけた。カルフォルニアでPhdを取りカルフォルニア大学女性学の教鞭をとっていたことがわかる。ネパール女性が留学してその地位を獲得するには並ならぬ努力をしたに違いない。話せば私とほぼ同じ年齢だ、40歳で結婚して今は3歳の男の子がいると写真を見せてくれた。

 彼女は時間がある限り貧しい人のためにも活動をしている。ネパールの貧困問題を話す。貧しい家には子供がたくさん生まれる、母親は教育を受けれないで無知なので子だくさんとなる、小さな子供は弟妹の世話をする、あるいは生活のために働く、だから子供たちも教育をずっと受けられない、そういう人々が貧困となり社会問題になるのだ。子供だけでなく母親を教育する事もいかに大事なのかとも語る。彼女が支援しているプログラムのパンフレットを見せてくれた、写真に写っている女性は17歳で最初の子供を持ち24歳になった今は4人の子供がいる、しかしそのうち2人は盲人なのだ、栄養失調で子供を生むからだ。ミーナさんはそういう子供のためにも盲学校を支援している。目が見えないと聴力が素晴らしく音感が抜群にいい、声も美しく、楽器を上手に奏でる。ネパール女性は教育のある人でも家庭に入り、社会のために貢献しない(日本女性にもあてはまるよ)その意識を変えないといけないとミーナさんはハッスルしているため、ネパール女性には成功したミーナさんを理解されない面があるようだ。彼女は女性の自立のために支援を積極的にしている。聴力障害の娘を持つ母親のためにミシンをプレゼントしたそうである。最初はパンジャビを作り始め、小物なども上手に作る。8か月ほどで会社を作ったそうである。援助といいNPOやらNGOのお金を回しても実際に本当に困っている人のところにはいきわたらないのだそうだ、人件費になったり、仲立つ人の高価な車やら家になったりするそうだ。そういう組織でなく本当に必要な人に必要な物を直接手渡すことがどんなに大切かと強調する。お金を渡すだけというだけではいけない、直接関わることが大切だと強調する。金だけだし口を出さない日本人の援助の在り方も問われる。

 ミーナさんは人間は人種も性別も関係ないと強調する。ネパール女性として競争の激しいアメリカ社会で成功した裏にはさぞかし苦労したことだろう。体験からにじみ出るしみじみと心を打つ発言だ。

 さてやっと小さな飛行機が飛び、ヒマラヤの雄大な姿を見ながらポカラに到着だ。チベット料理を食べ買い物をしながらホテルに着く。

 ミーナさんは夕方約束の時間に迎えに来る。ホテルが10軒ほど並ぶ小奇麗な通りの奥にミーナさんの家がある、一見ホテルのようだ。昨年新築したばかりの三回建ての豪邸である。2階の部屋に通され、広い眺めのいいテラスで食事をごちそうになった。ミーナさんのお姉さん家族と一緒に住んでいる。ネパールでは大家族で暮らすのだ。ミーナさんのお姉さんはお料理が得意だ。珍しい手のこんだお菓子やら、カレーを用意してくれていた。お姉さんの娘も大学の修士課程に通う才女で一緒にもてなしてくれる。ミーナさんの息子は最初は恥ずかしそうだっただが、友人が4人ほど遊びにくる。その子供たちは貧しい子供たちだそうだが、一緒に分け隔ても無く遊ばせる。子供たちは英語がわかる。息子がこの家は自分の家だというと、ミーナさんは皆の家でしょうというそうだ。家族を超えて博愛の人なのだ。息子さんは実は友人の子供だったらしい、養子縁組みして迎え大切に愛情を注いでいるようだ。

 私たちはカトマンズの後、飛行機の都合でカルカッタに飛ぶ予定だ、そこにはマザーテレサのマザーハウスがありますね、と聞くと、実はミーナさんはマザーハウスで9年間働いたのだと語る。写真を持ってきてマザーテレサが彼女の家を日帰りで訪問した時のものだという。権力のあるシスターが何人かいるらしいがその中のネパール人のシスターは昔カルカッタで勉強したルームメートだったと言う。当時はミーナさんがシスターになるのではなかろうかと言われたが、彼女はアメリカに渡り結婚もし、人はわからないものだと言う。

 ミーナさんは女性たちよ、いい服を着て、いい物を食べて、社会に貢献しながら、幸せに暮らそう、そういうクラブを作ろうと言う。与えれば与えるほど豊かに受け取られると体験から語る。豊かな国の人々はほんの僅かな愛を困っている人々に廻せばどんなに地球社会全体が豊かになれるのだろうと考えさせられた。

 ポカラはよく停電になる、電気が切れたので、部屋に案内してくれた、ろうそくの灯火の中で正面にサイババの大きな写真が飾られている。サイババのことを訪ねると、40年間サイババを信仰していると答えた。昨年もサイババに会いにインドに行ったそうである。たくさんの訪問者の中でミーナさんは「人の役に立ちますように」と祈り、サイババはやはりミーナさんの存在がわかり、呼ばれたそうである。サイババというと日本ではマジックというイメージを持っていたのである、ミーナさんの捕らえかたからイメージが変わった。マジックかもしれないが、自分は質素でありながら実際に病院や学校を建て社会に大いに貢献しているのだから評価は高くても当然だ。ミーナさんは自分を強くするために毎日瞑想をしているそうだ。

 ダライラマの話しになり、ダライラマがアメリカ訪問した時、ミーナさんは運転手をした、その時貰った壁掛けだとサイババの奥の壁掛けを示した。

 相変わらず停電である、近くのホテルは光りが付いている自家発電なのだろう。ミーナさんは私に赤いパンジャビ、前島さんには紫のパンジャビをプレゼントしてくれた。ミーナさんが支援している女性が縫ったそうだ。赤チャックの上着に赤のズボン、模様のスカーフのパンジャビセットはサイズも私にピッタリだった。本当にいいのですかと感激する。

 ひょっとしてという感がして北京女性会議に参加しましたかと質問した。私は航空券とホテルをとったものだが、間際に病気になり断念したのだ。彼女はネパールを代表して演説したそうだ。パキスタンではプット首相が演説したのでネパールや他のアジア諸国が目立たなかったと残念がっていた。

 ミーナさんは働き過ぎで5年前脳腫瘍ができて手術したことがわかる。私と似たような体験だ。私は努力してもただの人、彼女は才能がある上もっと努力してアメリカに渡り行動したから現在の彼女の地位があるのだ。ポジティブに表現した場合の例、私は日本に閉じ篭りネガテイブにしか表現できなかった失敗例か、、、

 意気統合して長々話しこみ、夜遅く帰る。翌日は盲学校を案内してくれると約束して、東京にストップオーバーする時は合おうね約束した。飛行機が遅れたばかりに友達になれたと互いに喜ぶ。心の友を得てほのぼのとした気持ちになった。