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危機一髪:父の脳手術 2002-10-7 両親は元気で長生きしてほしい。常に心配をかけ続けているのも、両親を呆けさせないコツかもしれないと思っていた。 ところが突然母から電話。父が吐いて頭が痛いそうだ、珍しい!それにいつもきちっとしている父が運動靴をちゃんと履かず車の灯りも付けっ放し、これは変だと!そんなことは誰にもありがちと言われながらも、気になる。兄が休暇をとって父を医者に連れて行き、病院で検査するための入院をさせることになる、胃潰瘍とか。 母は心配で又電話してきた。父が胃潰瘍の筈がない、心配なのは脳なのだ。私はそのあらゆる胃腸検査設備が完備したその病院に昨年末入院し全検査を受け、結局牡蠣があたったのでしょうと言われショックだった。逆立ちに近い形で機械に体をへばりつけられレントゲン検査やCTを撮ったり胃カメラを飲み込み、検査だけで1週間かかった、父にはそんな思いをさせたくない。それに脳出血だったら危険と猛反対。近所のベテランの看護婦さんも転院させるのは大変だから入院手続き前に帰ってきたほうがいいとアドバイス。仕事に出かけかけた兄に携帯電話して、そのまま父を連れ戻してきてもらった。 翌日大学病院の紹介書を近所の医師に書いてもらい、今度は脳神経外科へ朝一番で兄と母が連れて行く。母から電話、硬膜下に血腫があると、2か月前の交通事故の外傷が原因なのではなかろうかと。父がその日の晩に手術することになった。1日じゅう留守していたので犬の散歩しに家に来てと、実家に飛んで行く。兄から電話で簡単な手術だから心配ないと。そして私は実家で待機している。午後7時に手術が始まり、1時間半位で終わるそうだ。その間ずっと無事を祈っていたのに長い、、、。4時間しても終了の連絡がない。心配だ。うるさいと思ったこともあったが、父は家族を愛するマイホームパパであった。愛犬の写真でも持っていこうと整理された父の引き出しを捜すと私の子供の時の通学定期1枚を大事にとっているのを発見し驚く。犬以上に子供たちを可愛がり、几帳面な性格だから贅沢をしなくても生活の心配がなく守られて幸せだったことか、涙、涙。それにしてしても遅い。万一のことがあったら、手術が失敗したらと、心配になってくる。結局11時過ぎ、心配のあまり兄の携帯電話に電話したら、ちょうど無事に手術が終わったところ。後で聞くと、父が手術中暴れて、部分麻酔でなく、他の麻酔をかけなおして手間がかかったらしい。とにかくほっと、神様ありがとうございましたという心境になる。夜中の1時過ぎに疲れ果てた母と兄が嬉しそうに帰ってくる。 翌朝から、近所の親切な人や親戚の人々が心配して次々に電話。母は突然の入院なのでパジャマや下着の仕度で忙しい。12時過ぎに病院に出かける。近所の人の親友は、紹介書がなかったばかりにMRI検査の順番待ちの間に若くして死んだそうだ。他の近所の人は転院しないまま、死んだと聞く。医療によって危機一髪なのだ。 父の所に行くと、頭を剃ってベッドに寝ている。ずっと丈夫だったので、今回が70代後半で初めての入院だ。いつも弱みを見せない父とは違う姿で痛々しい。父は「さあ、もういい、帰ろう」とさかんに言い立ち上がろうとする。動くと危険なので看護婦さんがベッドに体をベルトで締めようとすると、「力が強いですね」と父が言う。脳手術直後はもっと意識朦朧として大人しい筈、もっと他の患者のように静かにしてよと頼む。声ははっきりしているが、冗談を言っているのか半分呆けたのか、漫才をしているように笑わす。私は先に帰る。その後、「酒をくれ」と喚き、麦茶をウィスキーだと言って飲ませ美味しいと満足したそうだ。頭が呆けたまま、大きな体だけ元気で暴れたら介護が大変だと思う。近所の理性的なおじさんも脳手術後1週間は変だったと聞くし、医師も1週間は老人は子供に戻り、ベッドを飛び回る人もいると言う。 2日ほどで父は算数もできるようになりすっかり回復し元に戻ってよかった。歩くのが好きで元気になると病院を歩き回り、おしゃべりしうるさいのか、元気な人の病室に移された。「騒いだ父を知っている看護婦さんたちがクスクス笑って恥ずかしい」と母は言う。医師は「命拾いしましたね」と言う。 8日して退院となった。早く退院したくてたまらない父を迎えに行く。あのまま放っておけば死んだか、寝たきり老人になったかもしれないのに、近代医学の高度な手術のおかげで父は回復できたのだ。 又平常の生活に戻ったけど、家族じゅう感謝の気持ちでいっぱいになる。 |