形か中身か 2004-3-12

最近、形を作るためにどうしてこう労力が必要なのだろうかとしみじみ思う。形を繕うことが上手な人が頭が良くて要領がいいのかもしれないが、、、あるものを型にはめ込む、、、、、だから同じ形の中でも多種多様、40代のオバサン、60代の高齢者と言われてもピンとこない人もたくさんいるだろう。

日本は建前社会だから、体裁を整えるにも時間やお金や労力を要する。だから皆忙しいのかもしれない。形で安全を維持してきたのかもしれないが、一部の形には利権があり、それを固守しようとするから、社会はなかなか変わらない。構造改革が進まない。

 形は固定観念でもある。緑の信号を青というのは何故と質問され、そういえばおかしいかもと思うが、これで困る訳でもない。習慣的にこうだと思い込んでいてもおかしいこともたくさんある、おかしな形は見直す必要もある。形を変えるには大変なパワーがいるけど、おかしいことをおかしいと声をあげなければ同じように他の人も困ったままだ。

利益追求で表面的に優良企業であっても、中身は人に冷淡であったり環境を破壊することもある。そもそも企業というのは人を幸福にするものであると、原点に帰ることも大切だ。高価な家でも日本では貧弱で、それを手に入れるために高額ローンを組み長時間労働を強いられたり。同じ100円という金額の形でもどう使うかで中身が違う。形だけでなく中身を見極めることも大切だと思う。

ネパールで活動していると、小さなお金で大きく動く、人手もあり、時間がある人が多い。安定は無くても、柔軟性があり、将来への発展性もある。思えば空を飛ぶ鳥は自由、人間だけが、これは自分のものと区分する形を作りより多くを求めることに労力を惜しまない。

形に縛られ、がんじらがらめで、形を作ることさえ柔軟でなく、動けなくなって削るばかり、物が余り成熟した日本の構造、ちょっと変わってほしいな。形と中身の具合を見ながら、価値観を決め、余計な体裁やらプライドを捨て、身軽にシンプルに生きれば、人生はけっこう面白くなると思う。限られた生、要らないものを捨てて、どう生きていくのか、、、