ハンディと問題  2004-1-27

  

ハンディや問題はばねである。

右足を庇っていた左足が痛くなる、良くなってハッスルして過度に運動すると又痛くなる。右足だけを問題にしていたのに、左足も問題、でもまだ手がある、目が見えるじゃないと意識を変換しなくてはいけない。今できることを大切にしなくてはいけない、やれる時にやっておこうと気づく。問題がないうちは意識もしなかったことだが、ハンディをいかに調整していくかも人生の課題となる。背筋をしゃんとする、関節の位置を整える、筋肉をつける。時には残酷だと思うけどハンディがあるからこそ人間は成長していくんだと。

誰でも皆、何らかのハンディや問題を抱えて生きている、だから人間は鍛えられ大きくなっていく。ドン底に落ちたとき、無神論者であった人でも神様助けてと神を意識する、人の優しさがわかるようになる。普段当たり前に過ごすときは神に感謝すらせずに鈍感で傲慢なのに。ギリギリを生きるということは、生かされていると神を意識でき、いざとなれば火事場の馬鹿力を発揮できるのかもしれない。

年齢を重ねるということはハンディが大きくなることでもあるけど、たくさんの体験があるから調整できる。だからハンディがあるからといって不幸でなく、幸せに転換できるのだ。周りの人を見て、若い時ハンディがあった人こそ精神力が強くて逞しいと感じる。

人間は問題だらけ、問題解決しやっと卒業したかと思うと、又次の問題がやってくる。安定は期待できない。でこぼこの石があっちにころがり、ぶつかり、球体になっていく、、、ダイヤモンドが研磨されて光を放つように魂も研磨されるのだろう。

不況、リストラ、環境破壊、生きることが容易でない時代となった。だからこそ、精神力が鍛えられる。逆境こそ、本当はチャンスが潜んでいるのだ。しまった、あの最悪の時こそ、チャンスがあったのにと悔やむこともある。今がひょっとしてそんな時期なのかもしれない。将来しまったと思うのか、やったと思うのか。

社会的にも肉体的にも大変な時代、、、でも意識の世界では成長期なのだろう。外の変化で意識が変わり、周りに影響を与え環境を変えていく、これが本当の自分の改革なのだと思う。