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アフリカで知った父の死
2004-11-25 |
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10月30日、アフリカに出発。出発前、父がコンゴは危険だから行ってはいけないと急に言い出したので戸惑った、父の怖い顔を見たくないので出発前に実家に挨拶に行くのを止めた。父の怒った顔を思い出す。父は私が旅行する度に宿泊場所や旅程まで細かくチェックする。若い頃ならまだしもこの年になってまで余計なお世話。ましてや今回は念願の調査、やる気満々、計画済みで準備万端整っているのに今更何を言い出すの?父は私が幾つになっても心配。 旅する時はタイミングが重要。自分の調子、親の調子まで見て決断。今回、両親はとても元気であった。だから安心。トランジットで寄ったナイロビも素晴らしいし、コンゴも人々は親切で、世界一資源豊富だから暴動が起こされる、国土も広く緑が多い魅力的な国。生きていてよかったと、生の喜びを旅の間じゅう肌で感じる私なのだ。 コンゴはウフェラ先生のお家に滞在。ウフェラ先生は大家族。奥様も私たちの滞在のために休暇まで取ってくれて至れり尽せりで感謝感激。たくさんの子供たちがいてよく手伝い、親を尊敬する愛の大家族だ。 ウフェラ先生の家から丘を超え10分ほど歩いた所にインタネットが接続できる場所があった。10分で100フラン(1ドルが405フランほど)なので安い。パソコンが10数台置いてある。 到着後、コンゴは安全で皆親切だと家族にメールしたのだが、忙しかったのでしばらくメールしなかった。夜中に蚊がうるさくビュンビュン飛び回り悪い虫の知らせでなければいいなど思いながら、調査もやや落ち着いたので、インターネットしにいこうと思いつき一人でブラブラ歩いて行った。メールを開くとゴミのメールや文字化けしたメールの中からいきなり、兄からpapa stroke、夫からotosan kitoku、そしてnakunattaというメールが飛び込んできたので驚いた。冗談でしょ!!! 唖然として、電話しに帰った。ウフェラ先生の家前の通りには電話する店がある、でも昨晩その近辺で稀な殺人事件が起きて店番をしていた男子が殺された、気持ち悪いと躊躇した。ウフェラ先生のプリベートカードを買い、電話。すると母が出て「パパ死んじゃったのよ」と泣きじゃくっていた。事実なのか???メールの文字は感情が伝わらない、声を聞いて、初めて本当かもと思った。 ウフェラ先生とミーナさんが実家に来て撮った写真がウフェラ先生の家にあった。さっそくカラーコピーする。父は誰でも温かく歓迎してくれた。ウフェラ家は皆温かく、HIVで両親を亡くして養女になったフィーナちゃんは特に心配してくれ、こんな小さな子にも両親の死の体験があるのだ!と驚き、癒された。近所の人々も黒い服を着て慰問に来てくれた。とにかく帰国を早めよう。キンシャサからバンコクへの便は水曜と日曜のみ。日本やナイロビ旅行代理店に連絡、東京の道祖神の長谷川さんはとても親切で、すぐに変更してくれキンシャサまで電話やメールをくれた、バンコクのチケットはFIXなので現地で要交渉だという。 出発変更の当日、近所のMBOMBAさんと日本人妻イクコさん、コダソさん夫婦まで見送りに来てくれた。キンシャサでは空港で変更したらペナルティだと100ドル要求された。30ドルしかないので入れてくれない。円も使えず、両替所すらない。最後のギリギリの時、「父が死んだ、ショックで体調が悪い」ということで30ドルでどうにか出国できた。バンコクでは同行の薫さんがANAのカウンタに行って上手く交渉。なんとか1便早く日本に到着。 葬式にも間に合わなかった。家に父のお骨と写真と花。お線香をあげてもこれは現実なのか信じられない。最期の日まで85キロドライブをして津久井湖で紅葉を楽しみ、最後は好きなお酒を飲んで倒れたという。理想的な死に方、人間は皆死ぬ、高齢だからと仕方ない、頭でわかっていても、朗らかなマイホームパパはもうこの世にいない。 幻か現実か、真実は何?
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