ウィーンの大病院 AKH WIEN 旅行中、母がプラハで転び、ウィーンで入院することになった。海外で怪我したらどうなるのか、私たちの体験談である。 夜、母がプラハのホテルの浴室で転び、腰を打った。ツアー中のハプニングで、翌日予定通りにウィーンまでバスで連れて行った。40人の大人数ツアーだったので、皆の温かい協力を得て、移動することができた。今回、AIU海外旅行保険に加入していた。ツアーの添乗員が保険会社に連絡してくれ、夜、ウィーン到着後、母をAKHという病院にタクシーで連れて行った。 夜間診察に、たくさんの患者が待合室に来ていた。名前を呼ばれて診察室に入る。診察後、レントゲン撮影して、大腿骨骨折とわかり、翌日の手術が決まった。入院期間は10日から2週間と言われた。すぐに病室に案内され親切な看護婦さんが準備してくれた。頼もしく優しくアジア出身で英語も上手。医師も紹介してくれた。面会時間は午後1時から3時まで、曜日によって5時から7時と聞かされる。早朝に常備薬を持ってくるように言われた。親切な添乗員は深夜まで付き合ってくれた。
翌日朝7時に薬などを持って、病院へ行く。欧州一の大病院で病棟はオレンジとグリーン2つあり、ナースステーションABCDE、、などがたくさんあり、19階の4室だけではわからず、行ったり来たりした。ドイツ語通訳を頼み、美しいが逞しそうな責任者の女医さんが最初に来てレントゲン結果や手術内容と危険性まで説明し、若い太った女性と男性の麻酔医2人が次に来て危険性を又説明して、マリア・シャラポア似の執刀医が最後に来て又、手術内容を説明してくれ、手術合意の署名する。最悪なことまで聞かされて、不安になる。母は 10 時半に手術室へ運ばれ、見送る。手術時間は3時間と聞いていたので、その間に通訳の人と一緒に街中に出てTCを現金化。後で保険で補われると言っても、お金も必要だ。通訳の日本人女性は語学留学時、オーストリア人男性と知り合い結婚し4人のお子さんがいるそうで、オーストリアの生活を聞く。病院に戻り、母を待っても現れずに心配する。夕方 5 時頃やっと病室に戻ってきた。喉が渇いているのに水も飲めずに、言葉も通じず心細そう。夜8時にやっと水を飲む許可が出て、食事も出る。3人部屋で隣には若い女性、その隣は40歳ほどの女性。私はホテルに帰る。ツアーの親切な人たちが夜部屋に来てくれて、日本の食品や日用品などをプレゼントしてくれた。
翌日、ツアーのフリータイムの日。親切なツアーの人6名が貴重な時間にお見舞いに来てくれて感謝感激。ツアーの人々はその翌日帰国だが、私は宿泊ホテルの系列で交通の便利なホテルを安くしてもらって滞在することになった。その後、お見舞いは私1人なので、午前から昼過ぎ、夕方2回お見舞いする。病室の壁はオレンジ色で明るい雰囲気。テレビは3人で1台、ドイツ語放送だ。食事は11時半と5時頃。パンにスープ、ハムやチーズ、時にはケーキ、肉など、オーストリア風で量が多い。隣の患者さんのボーイフレンドがよく来て、熱烈だ。廊下側は可愛い子供のいる女性。中央の女性が退院すると、ふくよかな美女が入院。優しいボーイフレンドや家族もよく来る。教会の人、元カレ、面会時間は無視していつでも誰か来ていい雰囲気。家族愛が強く恋愛も濃いようだ。若くても1月末の大雪で転んだり、椅子に上って落ちたそうだ。すぐには入院できず手術も待ったそうだ。骨の手術をするのに1年待ったりすると聞いたので、母は翌日手術してもらったので幸運だった。母は英語もドイツ語も話せないけど、日本語で話しながらけっこう心の交流をして、病室の人と仲良しになり、すっかり楽しくなったようだ。看護婦さんには必要な語の日本語とドイツ語を書いて、指で指してコミュニケーションした。 病院は明るいモダンな雰囲気。病院名の地下鉄駅の目の前で便利。1階にはスーパーマーケット、レストラン、カフェ、花屋がある。物価は高いが、食材は安い。母の大好物のスイカ4分の1が1ユーロと安いので朝、夕2回買って食べさせた。変わった飲み物やパンなども買う。お寿司のパックまであったのには驚いた。
手術後2日めから座ったり立つリハビリを行う。飛行機に乗れるように長時間座る練習をする。入院期間は母の状態しだいと言われていたが、仕事も気になるし、救援者3名まで認められていると聞き、長引くようだったら代わりを頼もうかと悩んだ。常に保険会社と連絡する。幸い、手術も上手で、母の回復力も早かった。6日めに帰国できると言われたが、飛行機直行便がいいので7日めに帰国することになった。母と同時期母より3歳年下のアメリカ人女性が、オペラ座前で転び、同じ大腿骨骨折で手術して入院していた。荷物を出国24時間以内にチェックアウトすると教えてくれたが、日本の保険会社は親切で、荷物の問題を話すと私をホテルまで迎えに来てくれ、運転手に荷物を病室まで運ぶようにまで手配してくれた。注射の仕方を習ったが、日本ではその注射はしない。病院から救急車が迎えに来てくれ、3人の背の高いハンサムな若い男性が来て母もゴキゲンだった。空港では車椅子で移動。ビジネスクラスに乗る。成田に着くと名前を持ったタクシーの運転手が待機して、実家まで車で運んでくれた。 母と同年代で日本で同じ手術をした知人は3か月入院してその後、本人も介護も大変だったようだ。母の場合は以前ダンスで鍛えていたせいか、回復も早く、すぐに歩けたのでよかった。日本の病院で経過を診てもらっているが、手術の腕前も褒められたそうだ。今回、ウィーンには良い病院があったこと、ツアーに参加していたので添乗員やツアー客の協力が得られたこと、保険に入っていたこと、母も頑張って耐えたこと、などでなんとかうまく切り抜けたけど、しばらくは母への世話も必要である。 |