心の財産を創ろう  2005-2-20

父が死んで100日経過、雪化粧した肌寒い2005年2月19日、納骨式と百か日を同時に行なった。父が死ぬ1か月前に購入をした墓地に、ピカピカで母の書の文字が刻まれた墓石が建った。国道246沿い、実家から歩いていける距離にある新しいメモリアルパークには斎場ホールも完成した。お坊さんのお経の後、父のお骨が終にお墓の中に納まった。

お通夜、葬式、35日(49日が元旦だったので代わり)、式の度に遠方から高齢の親戚や近所の人々などが集まる、本当に有難い。お通夜と葬式、私は皮肉にもコンゴから帰れず参列できなかった。何故コンゴ???今思えば、コンゴのウランが広島の原爆に使われ、広島出身の父は兵隊として原爆投下後に爆心地に救助に行った。私が特発性の血小板が少なくなる病気に罹ったのは原爆の影響もひょっとしたら、不思議な因果関係、父はドン底を見たから、生を大切にした。35日は実家で行われ若いお坊さんのお経の最中に犬のいびきが響き、悲しみとおかしさがミックスした。お坊さんも犬!とびっくりしたようだ。100か日は2月の冷々とする雨の中、厳かに納骨式も行なわれた。お墓1つ作るにも石の素材やデザインを決め、字を刻み、高い費用を払い、大変なことだがやっと完成。堅実な父であっても、保険やら様々な死後の手続きは驚くほど複雑だ。人間として生きていると登録やら書類が多いのだ。母は突然の父の死のショックで嘆き悲しんでいるのに、各種手続をこなさなくてはいけない。私は実家と家を行き来する生活となった。

この100日間、いろいろ忙しかった。そして和室にあった父のお骨や道具は無くなった。温かい家族、親戚、近所の人々、たくさんの知人や友人たちの有り難味を感じる。母は悲しがっているけど、私の時は、子供もいないし、近所付き合いもないし、このままいけば老後も安泰でないし、私たちは死んでもいられないという危機感を感じる。

今という状態があって、人一人死んだり消えてバランスが崩れて、補充をしたり様々な手続きを行なわなくてはいけない。人がいなくなって改めて感謝を感じたりする。

一つ一つ父の思い出が蘇ってくる。父は、惜しみなく時間とお金と愛情を注いでくれた。いつも結局私の意志を尊重してくれた。世間的な安定より、仕事をしたかった私を理解し、真夜中いつも犬の散歩で駅まで残業帰りの私を迎えに来て待ってくれたっけ。病気になってもいつも車で病院までお見舞いに来た。なのに看取って恩返ししないうちに逝ってしまった。そして今の私はむなしく申し訳ない。ただ最後、八ヶ岳で過ごした思い出などは貴重な心の財産だと思う。父は私を育てながら、たくさんの心も財産を残してくれた。そして人好きで人々とシェアした思い出、与えることで豊かになる、これが心の財産なのだと思う。物や形やお金はあの世には持っていけない。でも心の財産は残る。

心の財産を創ろう。知識や地位があっても人間性のない人もいる。知識を兵器に使えるし、人を豊かにすることにも使える。権力もお金も知識も人の心しだいで良くもなり悪くもなる。もし時間や体力や有る物や僅かなお金でも、自分一人で使うのでなく、どう他の人々とシェアして、喜びに変えて心の財産を創るのか。

世の中おかしい、日本でもネパールでもコンゴでもアメリカでもおかしい。でも自分の不幸を世の中や人のせいにするのではなくて、自分で心の財産を創ろう。まず自分から。